『ローグでさえ知らない』
担当:水谷 和希
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序 章 あるく
彼女が家を出たとき、さわやかな空がまず目に入った。
路地奥の家の玄関から見える空は、本当に小さかったが、それでも、その青は、彼女の心に残ったのだという。
「じゃ、行ってくるねー」
そう大声で家の奥に声をかけ、彼女は大きなリュックをひとつ背負い、いつもとは違う丈夫な服を着て、いつもと違う丈夫で歩きやすい靴を履き、勢い良く家の前の路地に走り出した。
もう寒さを抱えた時期は過ぎ、暖かかくなってくるこの春の季節。
新しいことを始めるには最も適している季節に、彼女も新たな世界を目指す。
彼女が走り出した路地は、いつもと同じただの家の前の通りのはずなのに、何かいつもと違って見えるのは、その新しい世界に対する期待からかもしれないと、ちょっと思ったりもする。
「今日から私も冒険者さんだもんね」
昨日、晴れて冒険者を目指す者の養成所『初心者修練所』を卒業した彼女は、ノービスとして、ついに歩き出すこととなった。
新米冒険者。経験もなにもない彼女につけられた称号『ノービス』は、新たに歩みだす証だった。
「まずは、おじさんの所にいって、レベルあげを手伝ってもらうんだー」
背中のリュックには、赤ポーションとバナナが数本。初心者修練所の卒業試験でもらった回復用アイテム。そして腰には、ナイフが一本。あと少しのお金だけを持ち、家を出たのだった。
「プロンテラの西にいつも居るって言ってたっけ」
これから、自分ひとりで生きていくためには、少し身軽な彼女。
「すぐにプリーストになってやるんだから」
しかし、憧れの職業を目指す夢だけは、誰よりも多く、鞄の中に詰め込んであった。
まだ、何にでもなれる時。まだ、何も経験していない時。真っ白な彼女に、まず家の玄関から見えた旅立つ日の空の青が、経験として溶け込んだ。
「そして、きっとみんなを癒してあげるんだから」
路地から一気に大通りへと駆け出した彼女。
この街のメインストリートともいえるその大通りは、多くの冒険者も行き交う。ついに彼女は冒険者の世界に、一歩踏み出したのだった。
○
「で、えーっと、このあたりのはず……」
プロンテラの西の門をくぐり、そのまま街の外に出た彼女。プロンテラの西は林が広がっていた。元々、プロンテラの街のまわりには豊かな林が広がっている。人々がここを首都と決め、人が集まってくるようになってから、道が切り開かれていったが、それでも木々の密集する地域は、まだ多い。
彼女は、地図をぐるぐる回しながら、自分の場所を確認していた。
プロンテラの西門を出てから、その切り開かれた道沿いにしばらく歩くと、プロンテラ地下に広がる巨大な水路の管理兵詰め所が見えてくる。
住み着いた魔物たちが格好の冒険者の的となり、ここを修行の場とする冒険者も多く、また、プロンテラの街に出入りする人の流れもあり、ここまでは、人の流れが途絶えることも少ない。
そこから少し北にある場所、木々が密集する場所の中に、彼女の目的とする場所があるはずだった。少なくとも地図上はそうなっている。
「えーっと、こっちかな……」
管理兵詰め所の少し手前にあった細い獣道を、彼女は北に向けて歩き出した。
道は細いながらも木々の間を、縫うように続き、確かに誰かが通った気配を残していた。
彼女はその道を、あたりをきょろきょろしながら歩いている。
林特有のさわやかな香りが、風に乗り吹いているが、そんなことを気にしている余裕はなさそうだ。
「そろそろ……なんだけど……」
しばらく、心配になりながらも林の中をひとり歩くと、道の先が少し明るくなってきた。木々が少し途切れ、日の光が差し込んでいるような雰囲気がする。
「あそこ……かな?」
彼女は、地面に突き出る木の根を気にしながら、少し足早にその場を目指す。
「あっ、いたいた。すみませーん。おはよーございますー」
その木々の間を抜けた先に、ブラックスミスが一人、小さく店を出していた。
誰がこんな場所に買いに来るのか……という場所ではあるが、上級者用の回復アイテムが、彼の前には山のように積んである。
昔から、プロンテラに買出しに来るたびに遊んでくれた彼。
彼女が駆け寄ってくるのを見つけると、仕事の手を止め、驚いたように彼女を見た。
「あれ、おはようさん。って、どーしたんや、こんなとこまで?」
「えへへー。ほら、これー」
彼女は、座っていた彼のそばにぺたんと座ると、腰につけていたノービスの証の小さなナイフを取り出した。
まだ一度も使ったことがないことがわかる綺麗なナイフ。
「初心者修練所、卒業したんだー」
初心者修練所の卒業者に贈られる1本のナイフは、その卒業の証明でもあった。
「おー。ついに念願の冒険者か?」
「うんうん。まだまだノービスだけどねー」
「よーがんばったなー」
「えへへー」
照れたように笑う彼女。
「がんばってプリーストになるんだー」
「そかそか。で、早速冒険って訳か?」
「うん、そーなんだ。まだ、一人はちょっと不安だから、おじさんに手伝ってもらおうかなーって。おじさんは?」
そう言って、きょろきょろと、まわりを見回す彼女。
この林のなかの小さく開けた一角には、小さな焚き火の跡が残り、何人かがここに居た形跡はあるものの、今は、彼以外に誰の姿も見えない。
「ここに溜まってるって聞いたんだけどー」
「あー、あいつなら、ピラミッド行ったみたいやな。なんか、探し物ある……ゆーて出て行くのはいつものことやけど」
「そーなんだ……」
「まー、見つかるわけない探し物やけどな」
「そうなの……?」
BSは肩をすくめるようなしぐさでそう言った。彼女は人差し指を唇に当て少し考えるが、うん、とひとつ頷くと、
「そっか。なら、行って見よっかな」
と、つぶやいた。その言葉を逃さず聞いたBSは、あわてて、
「いやいや、さすがに初めての冒険が、まずピラミッドからってのは……」
と、そこまで言ってみるが、そこで何かひらめいたように、にやっと笑って続けた。
「……いや、なんとかなるか……プリースト目指してるんやったな?」
「うん」
「なら、全部準備したる。ちょっと待っとき」
「ほんとー」
「あぁ、ほんまや。さすがにあいつでも、ピラミッドを支援なしで潜るんはしんどいやろから、行って助けたり」
彼は、立ち上がると、少し離れたところに置いてあった自分のカートに向かうと、その中を漁り始めた。
「ってことは、私、支援さん?」
彼女もそのカートに駆け寄り、中を覗く。
「そーゆーことやな。がんばるんやでー」
「うんうん。がんばって支援するよ」
「その調子や! せやな……まず、これ、持って行き」
彼女の手には、1枚のカードが置かれる。
「これは……?」
「今、装備を出したるから、少しまっときや」
さらに彼女の手に置かれるのは、ハット。そして、アミュレットが2つ。
「……あれが足りんか……」
彼女の手の上……というより、抱えきれないほどの装備を彼女に渡したBSは、漁っていたカートから顔をあげると、彼女に向かって、
「ちょっと足りんものがあるから、プロンテラに買出しにいこか。で、そこからモロクへカプラさん使うて一気に、や」
「ほんとに!」
「ほんまやがな。はよ、それだけ装備してしまい。あいつに置いていかれるでー」
「うん!」
「装備したら、プロンテラや」
BSは急いで店に出していたものをカートの中に押し込むと、彼女までカートに載せて一気に走り出した。
「面白いことになるでー」
BSは、本当に楽しそうに笑っていた。